カノッサの屈辱記念日

 1/25はカノッサの屈辱の日であるという。当方は高校生の時の世界史の授業で習って以来ずっとカノッサあるいは屈辱の大ファンだったのである。ファンといったって、有名なあの絵、言葉の響き、あるいはTV番組etc。

 TV番組での「カノッサの屈辱」は、当方は世代ではないが、90年代も終わりの当時中学生で夜更かしの好奇心が最もくすぶっている時期に、深夜、家族が寝静まった時間に居間でTVを付け流し観をしていた時に、何だか変な番組が再放送で流れて唖然としたのを覚えている。当時はインターネットはないし調べる術もなかったので、何のことだかさっぱりだった。(後年、2005年くらいに偶然、川崎のTSUTAYAレンタルヴィデオを見かけてこれだ、ユーリカっとなったような)

 

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カノッサの屈辱の概略といえば、聖職叙任権をめぐり教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の争いである。当時描かれた絵が素晴らしいし、これをもってヨーロッパ中世史の事変は結構好きになった。(アナーニ事件、フスの憤死、ジョン王、ペスト等)

 

 

2021GW3

5/3~5/5は高崎電気館で開催中の「若尾文子映画祭」に行く。まさかこんな企画をやってるなんて知らなかった。川島雄三の『しとやかな獣』が素晴らしい。最初は1回くらいの気持ちで足を運んだのだが、なんだか習慣になってきて3日連続、5作品観れた。鑑賞作品は『しとやかな獣』(1962)、『明日は日曜日』(1952)、『その日は忘れない』(1962)、『妻二人』(1967)、『銀座っ子物語』(1961)。f:id:sorcerer942:20210511003719j:imagef:id:sorcerer942:20210511003738j:image

2021GW2

5/2はストレスで外出してしまった。行き先は御茶ノ水。約半年ぶりの東京。コロナが流行る前は年に何回もレコード漁りに来ていたがここ最近はめっきりご無沙汰である。直近はいつ来たかと友人と話すと2019年の12月ということに気づく。コロナがはやる前、職場がましだった頃、みんなで石垣島に行く前だったことが判明、どうりで風景が新鮮に見えるわけだ。基本的には御茶ノ水と神保町のレコ―ド店巡り。結構沢山買ったが自分の知らない新しいものはあまり掘れず専らいつもの感じ。一通り買い終え本郷方面に歩く。風が冷たいが春らしい。東大周辺を歩いて上野駅まで。7、8年前、弥生美術館のチケットをもらってきたことを思いだす。不忍の池を回り駅方面に行く。道中の会話は与太話か仕事のこと。まあ、目下大変なんですな。当方もいづれ離れようと思ってますわ。何はともあれ、久方ぶりの気晴らしができたことに感謝。f:id:sorcerer942:20210511005251j:imagef:id:sorcerer942:20210511005304j:image

2021GW1

連休前まで職場がもめていた。あー何となく嫌な気分での初日だなと思ったが、アカデミー賞をとった『ノマドランド』観る。主演のフランシス・マクドーマンドの演技がリアル過ぎて不気味だったのだが、そこそこ楽しめた。連休中に楽しもうと思っていたボブ・ディランの14枚組のボックス『Rolling Thunder Reveue』が届く。1枚目のリハを聞く。道のりは未知

ポーランド道中膝栗毛 Ⅱ

さてさて出発当日は仕事を半休で切り上げて、深夜便の飛行機に乗るため羽田に向かう。家から駅までの道中、タクシーがつかまらず大型のスーツケースを引きずること約一時間やっとのことで駅へ。ここからバスで高崎線。羽田着後は深夜便なので空港をフラフラ。朝から昼から夜と日常からじわじわと非日常に移りゆくのはこんな時ぐらいだな。

ポーランド道中膝栗毛 Ⅰ

去年の6月にカステーラの国であるポルトガルに一人で行ってから堰を切ったように、飛行機に乗って洋行を繰り返すようになった。

今年はどうするか。ハンガリーまたはギリシャが良いか大分迷った挙句、アウシュビッツ収容所があるポーランドに行くことにした。

一先ず旅の目的は人類の負の遺産であるアウシュビッツ収容所に行くこととし、あとはクラクフと首都のワルシャワで過ごすという大まかな計画を立てた。

経緯

とんでもなく日常が早く過ぎる。何かにつかまる、しがみつく、はたまた胡坐をかく石になる等しないと日常生活の濁流に呑み込まれてしまい、ハッと気が付いたら十余年なんてことになりそうだ。それなので一先ず自分を落ち着かせるため、整理のため、日常の点と点をつなげまた観察していくために、単なる備忘録、極私的徒然草として始めていこうと考えている。